見栄のためにお金を使ったことがありますか?
私はあります。大人になってから増えました。
めちゃくちゃ増えました。
正しいお金の使い方がわからない、どうも田中です。
お金の使い方に関しては、子どもの頃のお小遣い制で使い方を少しずつ学んでいくってのが一般的とされていますね。そこらへんは各家庭の方針によりけりってところになりますが、1番大事なのは「欲」とどう向き合うかだと思います。
あれも欲しい、これも欲しい、もっと欲しい、もっともっと欲しい的なブルー〇―ツになってしまうと、お金というものは一瞬で消し飛びます。
消し飛ばしたお金との対価で受け取ったものが本当に欲しいものだったらいいんですが、案外本当に欲しいものってのが難しかったり…
かといって欲がない人間は、もはや生き物として終わりですからね。本質的に欲がない人間なんていうのは魅力皆無ですから。
欲をもってはいけない坊主ってのが現代でもいますが、彼らは高級車を乗り回すetc
ひと昔前のイギリスにおいて、お金持ちのステータスは馬車を持っているかどうかでした。
かつては裕福だった貴族層も、19世紀ぐらいになるとどんどんと没落していき、貧乏貴族も多くいたそうで。しかしながら身分上貴族であるために何かにつけて着飾らなければならない宿命にあるので、ジレンマを抱えた方々が多くいたことでしょう。
とある貧乏貴族は、馬+車の馬車を所持する余裕がないので、車だけ所持して馬はレンタル、なんていうこともあったり。
現代だと少し形が似たものとしてカーシェアがありますね。都内だととんでもない地価が影響して駐車場代で5万、下手すると10万以上するのが当たり前の地域も…
都内在住で車を所持できる若者なんてほんの一握り。金食い虫でしかない、見栄だけのための車だったとしたら没落貴族の気持ちもわかるって話ですね。
中3生の公民においては、日本の輸出産業の1番手として例をあげて説明するのが自動車産業になりますが、東京や大阪に住む若者にとっては自分たちに縁のないものになりつつあるというこの状態。一方、地方では生活必需品なので、一家に1台ではなく、1人1台という。
ここに見栄という欲が入ってきてしまうと、完全に破綻した生活になってしまいます。
全ての解決策は、資本主義社会においては絶対的強者である「お金持ち」になること。
残念ながらこれは今も昔も変わらないことなんでしょう。
「お金は全てではない。しかし何をするにもお金が必要だ」なんて言葉がありますが、お金は自分ができないことを他人にかわりにやってもらうための「通貨」です。
お金の向こう側には、最終的には人との繋がりです。
少々難しい話ですが。
話を戻しましょう。
多少の見栄を張れる余裕ある生活にたどり着くには、社会に迎合するか、社会を突き抜けるかの2択です。
迎合するなら勉強が必要だし、仕事が必要で、そうなると就活が必要だし、マナーも必要。就職しないなら自分で事業を興す必要があり、そこにはやはり知恵(学力以外のものも含む)が必要です。ホンモノの天才なら社会なんて気にせずに、我が道を進むべし。
天才は、お金と交換できる才能がありますから。
ご自分がどちら側の人間か、よく判断すべし。
1番やばいのは能力的に後者じゃないのに、後者だと思っている愚か者や怠け者(あえてそう呼ばせていただく)
そしてそんな愚か者や怠け者が、まともではないことを気付かせてあげられないまわりの環境。おかしいことをおかしいって言うと、それはあなたの価値観ですよね?ってなってしまう世界(アレ言ってる側は、わざとだって見抜けない人間が増えていることも残念)
嘆きだしたらキリがない、見栄を張りだしてもキリがない。
ひとまずまともな判断基準を持つために義務教育ぐらいは完璧にやりましょうと思う、ワタクシでございました。