振り向けばあなたも

2025年になってから、新しい経験をしましたか?

 

 

私はありました。どうも、田中です。

 

 

何気ない1日でも、鋭い観察眼をもてば新しい体験はそこらじゅうに転がっているものです。

逆に脳死して日々を過ごしていると、新しい体験に気付けない、寂しい人生になってしまうのでそんな人間にはならないようにしましょう。

 

 

体験といえば、webで海外ニュースを見ていた時に、「生物の絶滅=体験の絶滅」という文面を目にしました。

人類の身勝手なふるまいによって多くの生物を絶滅に追いやったのは誰しもが知っていることですが、そのことによって人類は多くの新しい体験をすることができなくなっていく、ということだそうで。

 

 

これは気候変動にもいえることですが、例えば温暖化が進むと気温が上がり、今までであれば雪が降っていた地域に雪が降らなくなり、雪が降ることによって生息できていた動植物はその地域から姿を消します。

人類は雪景色を知らなくなり、そこにかつて住んでいた動植物のことも知らなくなる、こうやって多くの体験機会を失っていくことで、もともと持ち合わせていた「自然を感じる心」も失っていく、という次第。

 

 

美しい景色を美しいと思えず、ただの知らないものとして認識する、これは考えてみると恐ろしいことです。

未知の体験を多く積むこと(特に脳が最も発達する幼少期の経験値が重要)は、多くの人が知っていることですが、その体験を積ませる場がないと、人の心は育ちません。

 

 

心が育たなければ、美しいもの、楽しいこと、悲しい出来事、つらい気持ち、何も感じ取れない怪物が出来上がります。

 

 

残念ながら人類の歴史において、その怪物が育ってしまう期間がありました。

1番近い期間でいうと、コロナ禍といわれる2019年末~2023年前半にかけてでしょうか。

世界規模で新しい体験が禁じられ、閉じこもりの生活を送らなければなりませんでした。

その後も対面によるコミュニケーションが制限されたりと、この期間における影響は様々なところで起きています。そして今現在も。

 

 

コロナ禍での幼少期~学生を過ごした世代は、多くの体験の機会を失っています。最も多感な時期に、多くのことを学びとらなければいけない時期に、他人の目がない家の中で、多くのものを失った人が生み出されたと、私は感じています。

確かに、命より大事なものはありません。しかしながら、先を見越してその時期を耐えながら工夫をしてきた人たちと、自堕落な生活をしてしまった人たちとでは、大きな差が子どもたちに出ているのではないでしょうか。

 

 

とまぁ、有識者気どりの「最近のわかいもんは…」オジサン的な文章を書いてみました。

現実的な数値やデータとして、そろそろそういったものも表に出始めてくると思います。(それとも政府にとって都合の悪いものだから隠すのでしょうか)

 

私は政府の人間ではありませんし、日本の未来を憂える素晴らしき人間でもありません。

 

ただ、自分の手の届く範囲で、自分と積極的に関わってくれる人間だけ(ここ重要)には、「人として」の部分も含めて、ちゃんと接していきたいと思った、そんな老害側になりつつある人のお話でした。