着飾り

頭から足の先まで、お気に入りのトータルコーディネートがありますか?

 

 

私はあります。

 

モードからストリートまで、何でもござれです。

 

似合わないものがないアイドル、どうも田中です。

 

 

 

かつては不健康と引き換えに高身長モデル体型を手に入れましたが、最近は太りだしてスーツ系の買い直しを迫られていて、このままだと本当に財布がパンクします。

 

 

 

さて、今回はファッションのセンス話でも。

センスが良いってのは、いったいどういうことなのでしょうか。

 

 

語りだしたらキリがないのですが、ファッションセンスは磨くことができます。

勉強でも何でもそうですが、まずは「基本」を知ることです。

 

 

流行り廃りはありますが、基本の1つとしてあるのは「色味」です。

ファッションは美術的な部分と大いに関係があるのですが、世界は色に満ちています。

いわゆるアースカラー(地球上の自然をイメージさせる色合いの総称で、グリーンやブラウン系、ブルー系の色味)は人間が動物として地球で生きている以上、最も身近な色であり、心地よい色と感じます。一方で警告色(主に有毒の生物に見られる色彩)は本来警戒すべき色ですが、その刺激性ゆえにファッションで利用されています。

代表的なものとして、ハチは人間にとって警戒すべき虫です。黄色+オレンジ+黒でいかにも危ないよってのを醸し出しているのですが、この色を警戒すべき色としてとらえているのは、人類が歴史的に積み重ねてきた本能的な部分からです。

 

 

しかし、この刺激的な色味はワンポイントで使うと目を引くものとなります。ファッションはそういった色から感じ取れるものの組み合わせで構成されているのです。

 

 

 

また別の切り口から考えると、ファッションは「歴史」です。

多くの人が知っているブランドとして、ナイキ、アディダスを例にしてあげてみましょうか。

 

ナイキといえばアメリカを代表するブランドの1つです。マイケルジョーダンがNBAでのルール違反を犯しながらナイキのバッシュを履き続け、最終的にはエアジョーダンという新たなブランド価値を生み出すのですが、ナイキのスタートが日本のオニツカタイガーからというのはあまり知られていません。

 

 

もう1つの例としてあげたアディダスは、ヨーロッパでは最大のスポーツウェアメーカーでドイツ発祥です。

創設者はダスラー兄弟なのですが、仲違いした結果、弟のアドルフがアディダス、兄のルドルフがプーマを創設しました。ちなみに2人ともかつてはドイツのナチ党に入党しています。

 

 

アメリカ×ドイツ、北米×ヨーロッパ、世界1位×世界2位、歴史的にも深いこの対立構造はファッションにおいても反映されています。

アディダスのジャージなのにスニーカーはナイキ、またはその逆パターンをやると「ダサい」やら「ありえない」と言われるのはこのあたりの歴史的背景が理由です。

 

 

スーツにおいてもイギリス、イタリア、アメリカによって作りは大きく異なります。

 

 

このようにファッションには感覚的な部分から知識的な部分まで、様々な切り口から違いがあり、それをわかっていて合わせられるかどうかが一般的なセンスの良し悪しとなりますね(「一般的」ってつけておかないと一部のファヲタから猛烈な批判がきます)

 

 

 

知識の部分は勉学に通じますが、感覚の養い方はどうすればいいのか。

ファッションにおける感覚の良し悪しは、経験の差です(0.1%の天才は除く)

世界中を旅した人間と、日本の埼玉県しか知らない人間とでは、受け取ってきた色の情報(他にもありますが、1つの例として)において雲泥の差があります。その差が表現にあらわれてくるわけです。

 

 

小学生、中学生、高校生と年齢があがっていくにつれて、多くの人が外見を構成するファッションに興味を持つようになります。かっこいい、かわいい、モテたい、そういった欲求は誰しもがもつもので、他者と比較して秀でたいと思えば思うほど(オリジナルでいたいという感覚も他者がいること前提)、感覚を養う経験の差、知識の差、模倣の差が必要になってくるのです。

 

 

勉強したくないから別の世界へ行く、好きなこと・好きなものに囲まれていたいから勉強から逃げる、あるある話ですが専門分野はゴリゴリに勉学が必要ですし、突き詰めると資本主義の世界ですから売るための努力は勉強が基本になっちゃうんですねぇ。

 

 

センスを磨くための経験を積もうにも、新しい世界に飛び込むためには多少なりお金が必要で、お金を得るための手段の根底は勉強なんですねぇ。

 

 

どこまでいっても様々な形で「勉強」が関わってくるのが我々の世界です。

 

 

さらにお金の話の基本、いわゆる経済というものは、中学の公民分野の後半で習います。

後半というところがミソですね。

 

 

「高校は私立にしたから、もう国数英の勉強だけやればいいや。中学の理社なんておさらばだぜ。」

 

 

ずいぶんと浅はかな考えですが、実際にそういう残念な中3の方々がいらっしゃるのが事実です。

しかし中3までは義務教育期間、当たり前に勉強しなければならないことをやっている期間に捨てていい勉強範囲などないんですよねぇ。

 

 

そもそも高校入って理社から発展する物理・化学・生物・地学、日本史・世界史・政治経済・倫理とかそこらへんの科目全部捨てるつもりですか?土台の基礎学ばずに理解できるほど簡単なものではないですよ。それに推薦で大学にいくつもりなら全ての教科が評定に入ります。

 

 

とまぁ最後はセンスのない生き方をしている人の話になっちゃいましたが、一部のホンモノの天才を除いて、99.9%の人間は日々勉強するのみです。

さぼれば取り返しがつかないのが人生です。

 

それくらいの気持ちで年末年始を迎えましょう。

 

以上、大人になってから毎年クリスマスは仕事をしている男からでした。